『羅生門・鼻』芥川龍之介(1968年)①
久しぶりに芥川を読んでみようと思い、短編集を買いました。
とりあえず最初の3話「羅生門」「鼻」「芋粥」を読んだので今回はそれらについて書こうと思います。一冊読み終わるごとに更新するって言ってたのにいきなり破ってあれですが。
さて、「羅生門」は言わずと知れた超有名作で、国語の教科書にも載っています。私が高校生だった10年ほど前にも載っていましたし、多分今でも載ってるんじゃないでしょうか。
今日久しぶりに読み返してみたら、国語の授業で一人1フレーズずつ順番に音読させられていたのを思い出しました。なんなら懐かしくなって一人で全編音読しました。文章は短いのでさしてしんどくはありませんでした。むしろちょっと楽しかった。
音読してみて思ったのは、かっこいい文章だなあということです。結構長い一文とかもあったのですが、だれることなくかっこいいのはすごいと思いました。声に出して読みたい日本語って感じです。これは国語の授業の思い出補正もあるのかもしれませんが。
多分教科書にはノーカットで全文載ってたんだろうと思いますが、印象に残っている単語やフレーズはところどころあるという感じでした。「檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆である」とか。
この話は起こる出来事は多くなくて、結構親切に説明するタイプの文章だなと思ったんですけど、とても読みやすくて過不足なく、文章がうまい~ってかんじでした。
話の中身については、死体の髪を抜く老婆を盗み見た下人が義憤に駆られるのが、高校生のころはあんまりよくわかってなかった気がするのですが、「死骸を辱めるとは死者への冒涜だ」っていう怒りだけじゃなく、老婆が異形めいた得体のしれないものにみえたのもあったのかなと思いました。まず一見してぎょっとするし不気味だし、理由もわかりませんからね。
それで老婆の弁明を聞いて理由がわかってからは、なんだ自分と同じじゃないかってなったんですよね。
鼻
「鼻」も多分何かで読んだことあったはずなんですが、あまり内容を覚えてませんでした。
鼻が長いお坊さんの話で、結構有名ですよね。
ちょっと不思議で滑稽な話なんですが、身体の部位に強烈なコンプレックスがある人の心理ってこんな感じなんだろうなと思いました。なんとか改善できないかと試行錯誤しつつ、自分と似た人を見つけて安心しようとしたりもして、でもそんな風に気にしてることを周りに気づかれたくもないというお坊さんの心理が一歩引いた冷静な視点で描写されていて、おかしみと同時にある種の共感が呼び起こされます。
あと鼻を短くする方法(ゆでて踏んで脂を毛抜きで取る)が角栓取りだ!って感じで面白かったです。
これはたぶん初めて読みました。
平安京で宮仕えする冴えない中年男が主人公なんですが、これが周り皆にいじめられ無視され嘲笑され、町のガキンチョにさえ馬鹿にされるという、どうにもかわいそうになってくるような男。序盤はこの男がいかに情けないかという描写に結構文量が割かれています。
そんな男にも生きがい、希望みたいなものがあって、それが「芋粥を腹いっぱい食べてみたい」というものだというのです。
芋粥というのは多分今でいう自然薯のおかゆだと思うんですが、宮中の正月の宴会で毎年ほんの少しだけ分けてもらえるもので、男はこれが大好きなようです。
うっかりその願望を口にしたら、偉い人の一人に食べさせてもらえるということになり、男はその人の屋敷までお供することになります(この屋敷が敦賀にあり、結構遠い)。この偉い人が結構お茶目で面白い御仁で、男に行き先を言わなかったり、キツネを使役したりします。酔狂な人っていうキャラなんだろうけど最後まで真意がよく分からなかったなあ。
男はこの人の屋敷で、約束通り大量の芋粥を作ってもらうのですが、マジで大量すぎて作ってるのを見るだけで食欲をなくしてしまうという話でした。
夢っていうのは叶わずに見ているだけの時が一番幸せだよということなのか、はたまた食べ物は好物だとしても適量がいいよねということなのかしら。
今回はそんな感じで!またぼちぼち続きを読んでいきたいと思います。
『台風の目の少女たち』赤川次郎(2012年)
新年1冊目に読んだのは赤川次郎の『台風の目の少女たち』です。
赤川次郎は十数年前、小学校高学年くらいの頃、三姉妹探偵団シリーズが好きでよく読んでいました。
本を読もうと思い、書店で文庫を端から見たところ、目について懐かしかったので手に取りました。
ここからちょっとネタバレ。
序盤を読んで抱いたのは、人間関係がめんどくさいな……という感想でした。
地方の県立高校に通う安奈が主人公なのですが、東京の大学へ行った年上の彼氏が大学で別に素敵な彼女を作って連れて帰ってくるわ、母親と父親はそれぞれ別に浮気してるわでなんか最初からかわいそうです。
最近そういう人間関係が面倒なことになってる小説を読んでなかったので、序盤は結構疲れました。読み進めるとさらにいろんな人が出てきて複雑になるし……。
まあ、それでも私が投げ出さずに読み進められたのはさすが赤川次郎の筆力ということなのでしょうか。
町にすごい台風がやってきてみんなで学校の体育館に避難して、そこで災害といろんな人間関係が絡み合って大変なことになるお話で、人がたくさん出てきて疲れながらも、慣れれば面白く読めました。
ところで私はフェミニストでして、フィクションにふれるとどうしてもジェンダーの描写が気になります。
今作の主人公安奈のライバル的な存在として登場する雅美は、非常に印象的なキャラクターです。
雅美は、安奈の彼氏である(あった?)章が東京の大学に出て行って、そこで出会った都会の女の子であり、章の新しい恋人です。
(安奈と章の現在の関係がどうなっているのかははっきりとは言及されていなかったと思います。メールのやり取りをしているとあったし、別れてはいないんだろうと思われますが、安奈は章が東京で新しい彼女を作るだろうと諦める気持ちもあったようで、片方が自然消滅しつつある二股みたいな状況だったのかな)
作品の舞台は山際の田舎町で、雅美はそこに現れた唯一の都会人、異質な存在として描かれます。
雅美はある種の「強い女」です。
彼女には里帰りした彼氏を勝手に追いかけてくる行動力があり、状況を的確に把握し正しい判断をする賢さもあり、言いたいことをはっきりと言う気の強さもあり、殺人犯や大嵐にも怯まない度胸もあります。
それと同時に、彼女は非常にチャーミングで外交的で、相手やその場にいる人の気分を害さずに自分の意志を示すのが上手です。
そして彼女はしばしば、要求を通すために自分の女性性を利用します。
愛らしい若い女である自分の魅力に他者を動かす力があることを、雅美は知っているのです。
こういう「強い女」ってどうなんでしょうね。
私はこの小説を読んでいて雅美がかっこよくて素敵だと思う場面はしばしばありましたが、彼女を素直に好きにはなれません。
彼女のお願い上手な部分がどうしても引っかかるのです。特に、中盤で雅美が嵐の中車を出してもらう対価に自分とのセックスを提案し、実際に男にキスをした場面がありましたが、読んでいて辛いものがありました。
お願い上手な女は、男を手のひらで転がしてるとか、実は男より強いんだとか言われることがありますが、お願いはお願いでしかありません。男がNOと言えばそれで終わりです。
セックスなんていうのは女にとってリスクの大きい行為ですが、雅美がこの場面でしている要求は彼女自身のためのものではなく、自己犠牲が過ぎるよなあとも思います。
雅美がある種のスーパーウーマンであるのは確かですが、単純に快哉を叫ぶことができないのはこういうところです。
私はこういう「強い女」って、男に都合のいい範疇に留まっているような気がしてならないんですよね。
あと、雅美に関しては役割語のきつさがちょっと気になりました。小説ではありがちですし、作風と言えばそうなんでしょうけど、こんな喋り方をする都会の女の子はいないと思う……。
一方、この作品には酷い男が何人も出てくるのですが、酷い男として描かれていない男も含め、男たちの態度にはだいたいイラっとしました。好きになれる男性キャラクターが一人もいなかった。
娘の性関係に干渉しようとする男が酷い少女買春親父として描かれてるのはまあいいんですが、男医者が女子高生にセックスについて説教するとかも普通にしんどいです。
あとちょくちょく現れる「いざというときは女を守る」「女の顔に傷をつけるわけにはいかない」みたいなマッチョイズムにもしんどさがあります。間違った意味で流布してる「フェミニスト」(女に甘い男)みたいな。それはパターナリズムというんやで。
まあ雅美はそんなのに大人しく守られるたまじゃないという風に描かれてるわけで、この辺については別に著者のスタンスではないんだろうと思いますが。
章は一番マシですが、すてきなヒロインたちに二股をかけてることを思い出すとこいつもダメだなと思う。
男たちがダメダメで強くて優しくてかっこいい女の子がいるっていうのはひとつの定番なんでしょうね。全然違うけどエヴァとかも思い出しました。
いろいろ書きましたが、女性同士の描写が豊かだったのはよかったです。女も浮気するし、本妻と浮気相手も対話できるし、二股かけられてる女の子同士も仲良くなれるし、同じ人を好きになっても親友でいられるのか。単純ではない人間関係の単純ではない個々の感情を丁寧に描写しているのはさすが赤川次郎なんだなと思いました。
新年・ブログ開設のご挨拶
こんにちは、のばらと申します。
新年ということで今年の目標を考えました。
それは、たくさん本を読み、なるべく感想を文章の形で書くということです。
その文章を置いておく場所として、このブログを開設しました。
私は子供のころ、本をたくさん読んでいました。
一番読んでいたのは小学生のころだったと思います。
その頃は児童文学をはじめとする小説をたくさん読んでいました。
江戸川乱歩の少年探偵団シリーズやシャーロックホームズシリーズ、青い鳥文庫のパスワードシリーズなど、探偵小説的なものは特に大好きでした。
ネシャン・サーガやデルトラ・クエスト、ダレン・シャン、パーラとか、装丁の綺麗な海外の翻訳小説も片っ端から読んでいました。
図書館に通った日々のことを思い出すと、今でも幸せな気持ちになります。
読書にはそんな思い出があるわけですが、中学生、高校生と大人に近づくにつれ、私の読書量は減ってきました。というより、より正確に言えば、私はだんだんフィクションを読まなくなりました。
勉強や日常生活が忙しくなってきたことが主な理由だと思いますが、フィクションを読めないということは、私の心に他人の人生を受け止める余裕がなくなっていることの反映であったような気もしています。
大学、大学院を出て働き始めた今も、勉強のための論説文やレポートのようなノンフィクションの文章を読むことはありますが、なかなか小説を読むことができずにいます。
でも、今年からはそろそろ、物語を読む楽しみを思い出していきたいなと思っています。
私は学生時代に文学批評にも少しだけ触れたし、自分自身が大人になっていろいろな考えも持っているので、子どものころと同じようにただ小説を楽しむことはできないと思います。
読みながらイライラしたり、作者に異論を述べたくなったりすることも多いだろうと思います。
そういうことができるようになった今だからこそできる読書を、今年はやってみたいなと思います。
どれくらいの頻度で更新できるかはわかりませんが、月に2~3回は、できれば週1くらいで、できたらいいな。